水銀を使わないという選択

水銀を使っていない製品を選択する意識や行動が、未来を変える。

2013年、熊本県熊本市及び水俣市で開催された「水銀に関する水俣条約(以下、水俣条約)」外交会議。そこで熊本県は、水銀に頼らない社会の実現を目指す「水銀フリー熊本宣言」を行った。2017年には水銀の使用や輸出入を国際的に規制する水俣条約が発効されるなど、世界レベルで水銀を使わない取り組みが始まっている。しかし、今でも家庭の身近な製品に使われている水銀。安心、安全な生活を持続していくために、私たちに何ができるのか。熊本県の水銀フリー社会の実現に向けた検討会会長を務めた、熊本県立大学の石橋康弘先生にお話をお伺いした。

水銀は使いやすく便利。
昔から現在まで、さまざまな現場で使われている。

「水銀」と聞くと、高度経済成長期に熊本県水俣市で発生した水俣病を思い出す人も多いだろう。その原因となった有害な物質として知られているが、驚くことに、現在でも私たちの身近な所で水銀は使われ続けているという。そもそも、水銀とはどういうものなのか。

「水銀は、金属の中で唯一液体の性質を持っていて、いろいろな分野で使われています。そういった水銀は無機水銀といって、そのまま環境中に出ても毒性というレベルではそんなに高くありません。しかしそれが、土壌や海域の低湿などへ出ると、無機水銀を有機化してメチル水銀などに変えてしまう微生物がいます。そういう微生物によって毒性の高い水銀に変換されると、私たちがよく知る水俣病のように環境や人体へ被害が出てしまうのです」

写真:石橋 康弘(いしばし・やすひろ)

水銀体温計や水銀血圧計を使ったことがあるという人や、その存在を聞いたことがあるという人も多いはず。家庭で長く使っているものや、昔購入したという製品にも、実は水銀が使われている場合があると先生は続ける。

「身近な所でいうと、蛍光灯や電池にも水銀が使われています。例えば蛍光灯でいうと、昔は40W蛍光管に30mgくらいの水銀が使われていたんですが、だんだんと使用量を減らしてきました。現在、5mgくらいまで減らされていますが、それより少なくすると光らせることができないということなので、おそらく蛍光灯を使い続けている以上は、ずっと水銀を使っている、ということになります。電池は水銀を抜くことに成功して、水銀を使っていない電池が流通しています」

水銀は怖いものだという意識を持っていながら、実は普段から使っている製品に含まれているという現状。石橋先生が会長を務めた、熊本県の水銀フリー社会の実現に向けた検討会では、各家庭でどれだけの水銀含有製品があるのかを調査。驚くべきところにも、水銀は含まれていたことが分かったという。

「ずっしりと重みのある朱肉には、水銀が含まれています。硫化水銀という無機水銀です。調査によって、このタイプの朱肉がどのご家庭にも結構あったんです。朱肉は水銀を使わないものも多くありますが、発色が良いということで、硫化水銀の朱肉が使われているようですね。また、以前は各家庭でよく使われていた、通称赤チンと呼ばれるマーキュロクロム液にも、殺菌性という観点から水銀が含まれています。他にも、神社の真っ赤な鳥居の塗料も水銀が使われているものがありますね。なぜ使われているかというと、雨風にさらされても菌が繁殖しないのでカビが生えないんですよ。同じ原理で言えば、ワクチンの防菌剤としても使われていることもありますね」

以前は水銀が使われていた製品も、現在は水銀を使っていない代替製品はたくさんある。どんな製品に水銀が含まれているのかは、環境省が示している「主な水銀使用製品リスト 」を参考にしてほしい。

廃棄の前には必ず確認を。
適正な回収・廃棄のシステムを全国へ。

写真:石橋 康弘(いしばし・やすひろ)

私たちの家の中や生活の身近なところで、水銀は多く使われている。だとしたら、それらを処分する時、どのような注意点が必要になるのか。

「昔は、蛍光灯の主成分がガラスなので、ガラスくずということで蛍光灯を埋立て処分場に出していたこともありました。それはいけないということで、自治体が個別に回収し、水銀を適切に処理する業者に渡すということになっています。現在、日本に何カ所か処理施設があるんですが、そこで適正に破砕し、内部に封入されている水銀を回収。水銀は金属水銀に変えてリサイクルするという方法がとられています」

熊本県では、2013年に採択された水俣条約以降、水銀廃棄物の独自の回収システムを作っている。これは、水俣病のような悲劇を二度と繰り返してはならないとの決意から、熊本県だけが持つ水銀廃棄の回収システムだ。

「水銀の使用削減及び水銀廃棄物の回収・処理に関する検討会の中で、蒲島熊本県知事から、『世界をリードするような取組みを作ってほしい』と言われ、我々検討会の委員も議論を重ね、水銀廃棄物の回収システムを作りました。熊本県では、水銀が使われている製品をまず一次回収拠点となる各自治体のゴミステーションに出してもらって、県が許可した業者が回収、運搬します。その後、二次回収拠点となる市町村単位でまとめて、最終処理施設で適正に処理、リサイクルします。現在熊本では県が主導し、各自治体へ回収システムの窓口を作るよう指導をしています。こういったシステムが全国に広まって行くと、真の水銀フリー社会が実現していくことになると思います」

とはいえ、水銀を規制する対象として、その含有される量によっては対象外となる製品もあるという。

「当初、蛍光灯は水銀が含まれている量が微量ということで、規制の対象に入っていなかったんです。しかし、水俣を有する熊本がよそよりも先んじて実践して行こうということで、微量であっても蛍光灯の回収はしっかり行っていくことになっています」

熊本では県主体で実践されている、水銀を使わないという動き。一般に浸透して行くには時間がかかっているようにも感じるが。

「水俣条約以降、水銀は使わないという方向で環境省も法律を作りました。現在いろいろな広報の手段を使っていますし、企業や工業団体へは通達されていますので、そういう分野では水銀を使わない取組みは始まっていると考えています」

画像:熊本県くまモン「水銀体温計、水銀血圧計、蛍光灯、ボタン電池などきちんと分けて捨てるんだモン」

日本や途上国で体感した
水銀の高い利便性が招く健康被害。

水銀フリー社会の実現に向けて率先して行動をしている熊本県。その一つとして設置された検討会において、会長を務めたのが石橋先生。長年水銀に携わっている先生が、研究をはじめたきっかけとは。

「大学を卒業後、長崎大学の環境管理部門であった環境保全センターに勤めていました。そこでは、いろいろな有害な廃棄物を回収して、適正に処理するということを研究の対象としていたんです。実験廃液がメインなんですが、その中から水銀がかなり出てくるんですよ。水銀を使っていないという廃液からも、水銀が出てくる。どうしてかというと、防腐剤、防菌剤というかたちで少し入っているものがあるんです」

廃液を出した所へ確認しても、「水銀は使っていない」と回答されるだけ。当時、世間では環境問題というテーマが出始めた時代でもあり、東京大学が全国で初めて蛍光灯を回収し、リサイクル施設に送る活動をはじめた頃でもあった。

写真:石橋 康弘(いしばし・やすひろ)

「東京大学の活動を参考にして長崎大学でも蛍光灯の回収を始めました。その時担当したのが私でした。水銀をリサイクルして製品として販売している会社があるんですが、そこと共同研究をし出したことで、水銀を適正に処理するということをやり始めた経緯もあります。水銀は怖いものだと思っていますので、あまり研究をやりたがらなかったんです。そこからもう30年くらい水銀研究をしていますね」

石橋教授の研究室がある熊本県立大学

水銀研究の専門家として海外へ赴くことも多いという石橋先生。よく訪れるというインドネシアでは、水銀にまつわる深刻な問題を目の当たりにする。

「発展途上国では、金の採掘を行う方法として水銀が使われています。金は、水銀に溶けることで、アマルガムと呼ばれる合金を作ります。例えば、砂金があるような所へ水銀を入れて混ぜますよね、そこから液体の水銀だけを回収すると、その中に金が混じって戻ってくるんです。水銀は液体で、蒸発する温度が低いですから、水銀だけ飛ばすと金だけが残る。それで金だけを回収する、ということが、劣悪な環境でやられているんです。しかも、水銀を適正に回収する施設はありません。それで、水俣病と同じような症状を持つ人が、近隣にたくさん出てきている、といったことが問題になっているんです」

水俣条約には、水銀の供給や使用の規制、適正な廃棄といったことの他に、輸出入についての規制が定められている。これには、途上国で依然として利用され、排出の減少が見られない水銀について、先進国と途上国が協力して、地球規模で水銀汚染の防止を目指す意義が込められている。

「インドネシアでは、家電の基板といった電気電子機器廃棄物の中にも金が結構使われていて、それを回収する時にも水銀が使われているようなんです。どうやら、そういった施設や工場が、政府も知らない所で日本からインドネシアへ集まっている、という話もある。そういったことをやめさせたい、というのも水俣条約の項目としてあります。水銀の輸出入をやめれば、途上国での水銀の利用や、水銀による環境汚染や健康被害がなくなりますよね」

誰もが今日からできる
「水銀フリー」のライフスタイル。

写真:石橋 康弘(いしばし・やすひろ)

熊本県が宣言する「水銀フリー」とは、水銀が含まれる製品をできる限り使わないようにし、また、使用済みの製品を適正に廃棄することにより、最終的に水銀が使われなくなる状態をいう。

「現在熊本県では、率先して県庁新館や県有施設、道路やトンネルなどの蛍光灯をLED照明に切り替えるなど、毎年水銀使用の削減を実践しています。蛍光灯はやめてLED照明にしていこうという動きは、全世界的に進められています。エネルギーのセーブという点でも、LED照明の方が電気エネルギーをセーブできますよね」

それでは、私たちがすぐにでも実践できる「水銀フリー」とは?

「まず、家庭にある水銀含有製品を使わないことです。例えば水銀体温計を電子体温計に、蛍光灯をLED照明に変える。電池は水銀を使用していない電池を選ぶなど、水銀を持たないことです。そして、処分する時にはそれぞれの自治体へ確認されて、適正に廃棄することですね。もしも適正な廃棄物の処理ルートに乗っていないということが起きると、どこかで埋められたり、環境中に放出されたりすると水銀が出ていくことになります。そういうことにならないためにも、できれば水銀を使わない方が良い。そういうところで、カシオさんは水銀を使わない商品を開発されたんだと思います」

テレビやパソコンの液晶ディスプレイやプロジェクターの光を出すランプの部分にも、水銀が使われていることは、ほとんど知られていない。水銀を使わない、廃棄物を出さないという想いを胸に、カシオでは世界に先駆けて2010年からすべてのプロジェクターで水銀ゼロを達成した。

「水銀フリーの製品を作られている会社さんが、もっとアピールしてもらうと、みなさんの意識も変わってくると思います。2021年以降は、水銀を含む製品の製造や輸出入が禁止されるため、世界的にも水銀を使わない動きは始まっています。水銀を使わないことは環境にやさしいのはもちろんですが、私たちの生活が安心でもあるということ。新しく製品を買う時にも、原材料を確認し、水銀を使っていないものを選択する意識や行動が大切です。」


石橋 康弘(いしばし・やすひろ)

写真:石橋 康弘(いしばし・やすひろ)

熊本県立大学環境共生学部
石橋康弘 教授
「熊本県水銀の使用削減及び水銀廃棄物の回収・処理に関する検討会」
「熊本県水銀含有廃棄物の安全かつ効率的な処理方法に関する検討会」
会長などを歴任。